あの時の自分へ
あの日を振り返りながら、自分に向けた手紙を書いてみることにする。目を閉じる。瓦礫の街が蘇る。
震災直後って、情報がほとんど無くて被災地に入ることは決して賞賛されることではなかった。どちらかというとあの時の空気は「もう少し時間を置いてから行けば」的な雰囲気が流れていた。そして、いきなり「支援物資買いたいからお金振り込んでくれ」とかメールで無作為に友人に送っちゃうもんだから、ほんといろんな人から厳しいお言葉をいただいた。
それでも僕は被災地に向かった。被災地に入れば入ったで特に大したこともできず、(おそらく)ストレスで血便にはなるわ、内定辞退して無職になるわでめちゃくちゃだった(笑)はっきり言って、今の僕には絶対できない。アホすぎる(笑)
ただ、理解もしている。あの時の僕は遅めの大学生活を終えるタイミングで、卒業式を控えていた。タイミング的に自由な時間があったのも事実。そして、ママチャリの旅で出会った多くが被災していて何かしたいという気持ちが強かったということも理解できる。
あの時、軽トラックで無謀にも被災地に向かうと決めた判断。「もう少し待ってから行けば?」「原発は大丈夫?」「迷惑をかかるだけ」「自己中」そんなことを言われながらも向かった決意。
あの時から、被災地にはいって活動してきたけど、振り返るとほんと自分に都合のいいことばっかり言い聞かせて活動を続けてきた。
「1000年に一度の未曾有の震災で、一人くらい無茶な?生き方してもいいだろ」とか、内定を辞退した時は「僕よりも困っている人がたくさんいる、僕の悩みなんてちっぽけだ」とか、めちゃくちゃ都合がいい奴(笑)
でも言い方を変えれば、あの真っ暗闇の中でよくぞそんな意味わからん肯定感押し付けながら活動してきたなって思う。そこが強さなんだと今となっては思う。
あるのは事実じゃなくて解釈だけってどっかの偉い人が言ってたけど、まさにだ。解釈。その事象に対してどう自分が解釈するか。その点は、震災後、君が一番鍛えられた部分じゃないかな?それはまさしく今に生きてる。どんな状況下でも(そんな言い切れないけど・・・)ネガティブをポジティブに変える能力がある。
何を基準にここまで行動してきたか。それは恥ずかしくて大きな声じゃ言えないのですが、やっぱり生きてる以上、いや、生かされている以上、誰かのためになりたい。そして、その結果、少しでも世界を良くしたいと思っているからだと思います。
誰かのための連続性が今日を作ってきたしこれからもそうしていくのだと思います。瓦礫の街で見た景色。真っ暗闇の世界で少しでも光を見つけて大きくしてきたつもりです。