2011
- BASE
- 気仙沼/茂木
- TOPICS
- 3月11日 東日本大震災 発生。3月23日に矢部が続いて4月に斉藤も気仙沼入り。
- 成宮と出会い共に活動を始める。学習コミュニティ支援事業開始。
- 底上げ農業部、栃木県茂木での米作りを有志で始める。
あの日から、生き方が変わった。何度も何度も目の前にいる一人の人と東北の未来を考えた結果、この10年でたくさんの事業を行ってきた。どのような決断の上で事業を行ったのか、その決断には、どのような問いがあったのか。
決断の背景には解決したい課題や問題があり、その課題や問題に対する、自分なりの問いが生まれる。整備され、決められたゴールに向かうときのそれとは違い、東北で過ごす生身の僕らの問いには、野性的に研ぎ澄まされた感覚で、あらゆるものに向き合い続けた結果が反映されている。
対話、内省を若者に促す僕らが、自身で体験し応えてきた「問いと決断の連続」を、この10年の年表と共に振り返ります。底上げに関わったことがある人は、自分の歴史と重ね合わせ、初めての人は当時の自分を思い出し、これからも東北に想いを馳せてもらえたら幸いです。
工学院大学教育推進機構 准教授
2011年5月、早稲田大学にあった当時の研究室に飛び込んできたやべっちがドアを開けるなり「これからは子ども支援だと思うんですよね!!」と話し始めたことを今でも鮮明に覚えている。しかも、子どもの意見表明・参加が大事だと思う!と、目を輝かせている。
東日本大震災後の余震もおさまらない時期、災害後の子どもと言えば多くの人々が「心のケア」を思い浮かべた頃の話である。子ども支援という言葉は、東日本大震災後に一般化した言葉である。子ども支援は国連子どもの権利条約に基づいている。子どもの権利条約では、子どもを保護の客体とみるのではなく、権利行使の主体と考える。
底上げの活動は、まさに、子どもたち自身が考え、悩み、動き、気仙沼から世の中を変える活動である。伴走してくれるおとなさえ、易々と飛び越えていく。
この10年間、底上げYouthの活動を始めとして、災害後の子ども参加は、少しずつ広まりつつあった。ところが、このコロナ禍で子どもは再び保護の客体にゆり戻されている。
今こそ底上げの出番ではないか。若い世代の理事とともに、次は何に挑戦するのか、実はちょっと期待している。
NPO法人底上げは、東日本大震災直後に宮城県気仙沼市で立ち上げました。
東北の高校生が”自分のやりたいこと”と“地元のためにできること”を考え、行動をおこすサポートをしています。
そこから高校生が主体性や自ら学ぶ力、 課題解決力を身に着け、同時に地域に根差した活動を通し郷土愛を育むことで、新しい社会やワクワクする地元をつくることができる人材を育成しています。
矢部寛明
理事長
成宮崇史
事務局長
斉藤祐輔
副理事長
横山沙織
スタッフ
元底上げスタッフ
震災からの10年間、20歳から30歳の僕は底上げと共に成長できました。底上げを離れて教員になった今でも、それが強く感じられるのは本当に幸せなことです。子どもたちに向かって伝える言葉、仕事に向かう姿勢など、5年間の底上げで過ごしたエッセンスのようなものが添えられて表出しているように思うのです。このエッセンス、多くの人が解析不能。いわゆる「底上げっぽい感じ」がなんだか僕にもあるようなのです。
底上げにいた5年間で3人の僕が顔を出すようになりました。1人目は、「何かしたい自分」。2人目は「何かできる自分」。3人目は「何にもできない自分」。 3人の自分が同心円上にいて、いろんな自分を行ったり来たり。重なった円の中で一枚ずつ脱皮を続けています。脱げた皮に驚いたり、むけた自分の肌が綺麗だったり、本当に楽しみながら駆け回っています。
「自分に何ができただろう」いつも自分に問いかけているけれど、行き着く答えは「何もできていない」。「自分はどうなれただろう」いつも寝る前考えるけれど、返ってくる答えは「まだ何にもなれていない」。でも、必ず脳裏に浮かぶのはあの日、あの時、底上げのみんなと笑い合えていたことなのです。
震災の10日後、日本から逃げるように留学に出発。翌年1月帰国したところに、矢部さんから「気仙沼でサッカーするから中馬も来てよ」と連絡をもらい、おもろそうやなと。
初めての東北、初めての気仙沼は、雪上サッカーをして、おいしいご飯を食べ、底抜けハウスに泊まり、気付いたらなるさんと地域の人たちと触れ合っていた。“被災地”支援や“ボランティア”の概念は消え、ただ気仙沼での新しい出逢いを楽しんでいた。
ふと、自分にできることは何かと思い、fbで自分の気仙沼ライフ(≒被災地のいま)を発信。すると、友人や後輩たちが順々に気仙沼を訪れ、出逢いが連鎖していった。そんな2012年、冬の、底の上げ方。笑
『ありたい自分』に近づくため、2年前に転職を決断した。『ありたい自分』とは何か?この問いは底上げでの経験から生まれた。
2012年5月より、地元の中高生を対象とした学習支援を中心に底上げの活動に参加させていただいた。
活動を通じて、底上げメンバーや高校生が積極的に挑戦していく姿勢に驚かされた。と同時に、その原動力に興味を抱いた。至った答えは『ありたい自分』を持っていること。恥ずかしながらこの時初めて『ありたい自分』について真剣に考えたことがないと気づかされた。以後、この問いは僕にとって最大の問いとなった。
2012年、底上げのインターン生として、学習支援活動の運営に携わらせていただきました。
僕の行動や投げかけが、地域のために、関わる子どもたちのためになっているのか、と悩みを持ち続けていましたが、底上げに関わる人たちや気仙沼で暮らす人たちが行動し続けている姿を見て、僕もやり続けないとと思い、今でもそれが正しいことなのかはわかりませんが、行動し続けています!
人がどう思うのか、どう動くのかも、考えることは大事ですが、自分がどう思うのか、どう動くのかが大事だと思わせてくれる環境と挑戦の場をいただきました。
“人生で一番大きな決断”と言っても過言ではないのが底上げでの経験でした。
インターンとして関わっていた時は、主に放課後の学習支援を行っていました。
2014年度の1年間で関わっていた子どもたちは、もう成人式を迎えていたり、立派な社会人として活躍していたり。どんどん成長していることを改めて感じました。
当時の私は、漠然と先生になるだけを考えていました。本当にそれでいいのか?という問いを持てたきっかけは、ヒロさん・ナルさん・ゆっけさん、望洋の社長との出会いだったと思います。
「気仙沼でお前は何をしたい?」
これを1年間考えさせられた時間だったと振り返っています。答えのない問いを探し続け、気がつけば1年間という期間が過ぎていた。そんな風に思います。なので、僕にとっては、決断しきれなかった1年だと思っています。その上で、今私が感じる「決断」とは、誰かの何かの役に立つということを考え続けられる。そんな生き方を自分でしていこうという決断ができるようになったと思います。
ぼくは大学入学直後の2014年5月から半年間、底上げでインターンをしました。底上げのみなさんは自由に、誇りを持ってやりたいことに真摯に向き合っていました。その姿は、「とにかく行きたい、知りたい」という気持ちで気仙沼へ行ったぼくに、「あなたは人生をかけて、何をやりたいのか」という問いを投げかけているようでした。今でも底上げのみなさんと会うと、同じように感じます。やりたいことはまだ模索中ですが、自分に問いを投げかけ続けるために、そんな機会をくれた恩返しのために、また気仙沼へ行くと決めています。
僕が底上げに居たのは震災の面影がまだ色濃く残る2013年5月から一年間でした。
主に小・中学生を対象とした学習コミュニティ支援を軸に地域の方と関わる事を意識して活動していました。
ボランティアとして地域に入り、気仙沼を離れる頃には出会えて良かったと、そう言って貰えるような関係性を築けるか。
あの震災がもたらした変化の一部でありながらも少しでもプラスの変化の一部でありたいと思い活動しました。
今も続く繋がりを、よりプラスにできればと。
関わり方は変われど、それを形にできるように今も活動しています。
大学3年次にを休学をし7ヶ月間、主にSOKOAGE CAMPのインターンとして活動させていただきました。漠然と「自分にとって幸せとは何なのか」と悩んでいた学生生活。それまでどことなく受け身で生きており、手にとりやすい幸せを消費するだけの毎日でしたが、底上げと出会い活動していく中で、自分の意志と力でつくり続けたものには物語と豊かさが生まれ、それは「できる感覚・動く楽しみ・生きる喜び」そのものであると実感しました。そんなわたしの決断は「これからも自分の手で感動をつくり続けていく」。一歩いっぽ、前へ!
最初に参加したプログラ厶で、それまでの私を支える人間関係は「ジェンガのように出会った人を重ねてはなんか違うなって引き抜いてきたグラグラなもの」なんて感じた記憶があります。なんか違うなって?本当に大切にしたいものは?今も問い続けています。試行錯誤の中で悲しい時も嬉しい時も、顔が浮かんで話したくなるのは底上げを通して出会ってきた人たちです。なんて幸せ者なんでしょうか。私は誰かを幸せにできるのでしょうか。追いかけたい背中はいつか思い描いたものより小さめです。小さく感じさせちゃうんだからかっこいいなあ。
ツーリズムリアス代表
底上げ展開催おめでとう。
思えば実に不思議なご縁で、ホテル望洋の一室で産声を上げた底上げが、ここまで長く活動を続けるとは誰が想像しただろうか。
当初はひろ、ゆっけ、なるの三人体制で始まった復興支援活動は瓦礫の荒野を前に様々な葛藤と悪戦苦闘が続く日々であった。その後、あつやひめの参加によってさらに組織として形を成し新たな道を切り拓いて行く。底上げには全国各地から多くの若者たちが集うようになり、中にはインターンとなる者も現れた。
行動の原点が常に被災地の現場にある彼等の活動は、だからこそ常に地域に密着したものであり続けた。そこには若者たちの英知と情熱が溢れ、汗と涙と笑顔があった。被災者である我々は君たちのそんな姿から沢山の元気を貰った。
泥かきから始まった君たちの活動は、子供たちの学習支援やまちづくりへの取り組みを経て、「人づくり」へと収斂して行く。それは市が取り組み出した人材育成の様々な事業と見事に連動する。
そして今、震災直後活動へ参加していた高校生諸君が大学、就職を経て、一人また一人とUターンして再度底上げの活動の中核になろうとしている。この姿こそ古里の未来へ続く何よりの財産であろう。 絶望と喪失感に打ちのめされたあの日から10年、被災地気仙沼の力を信じ、伴走してくれてありがとう。走り続ければ景色は変わる。
主に底上げメンバーにまつわるクイズを50問出題!あなたは何問正解できるかな?3月14日(日)までの間に回答頂いた方の中から最も正解数が多かった「底上げ王」を3月21日(日)19時からイベント内で発表したいと思います。ふるってご参加下さい!!