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人生を豊かにする関係性とは

僕は弱い

僕は弱い。弱い人間だから共に生きる方法しかない。でもそれは他の人にも当てはまると思う。人はそんなに強くない。ひとりで生きていこうとしないでいい。

性善説を孟子がとなえるなら、僕は性弱説をとなえたい。特に僕に限っては(笑)めちゃくちゃ寂しがりやだし、仲間といつも一緒にいたいタイプの人間。ひとりじゃほぼ何もできない・・・。37歳にもなって・・・。(大変申し訳ございません)ただ、できることもあると思う。寂しがり屋なので、寂しがり屋の気持ちはよくわかるし。まめに連絡したりは相変わらずよくやってる。僕は相手との連絡手段として、メールも嫌いじゃないけど、メールより電話だし、電話より手紙だし、手紙より直接会うってことを大切にしてきた。結果として、関係性が濃くなった気がする(正確にいうと僕を理解してくれている人が多くなった)。震災直後ゆっけと暮らしてた時に「ひろはほんと時間があれば誰かと電話してるよね」って言われた時があった。今思うとその行為ひとつひとつが、良質な関係を生み、おかげさまネットワークが誕生したのだと思う(笑)人間って環境に左右されることって多いと思う。人の悪口ばかり言ってる環境に身を置けば自分も悪口言うようになるし、逆にガハガハ笑いながら困難を乗り越えている人たちの環境に身を置けば、自分もそうなっていくと思う。どういう環境に身を置くか、言い換えればどういう関係性の中で生きていくか。
だから関係性ってとても大事なんだと思う。僕はほんと、おかげさまでここまできた(笑)軽トラックに乗って被災地に入った時も、本を片手に試行錯誤しながらNPOを立ち上げた時も、(そしておそらくこれからも・・・笑)誰かの支えが必ずあった。最近は、支えられてきた分、今度は支えたいという気持ちも正直沸いてきている。できることは少ないけど(笑)

矢部寛明

“ありのままの自分”ってなんだろう

ありのままの自分でいることが周りとの関係性もハッピーにしてくれるというような、”ありのままでいる”ってよく聞くけど、僕はその言葉はあまりしっくりきてなくて。僕は性格的にひじょうーーーに周りの目を気にします(笑)
だからこそ、周りがどう思っているのか、そもそも周りにどう思われたいのか、ということをとことん考えることが多い。そして一旦相手の気持ちになりきってとことん考えてみると、意外と答えはすごいシンプルだったりして。それがわかれば後は簡単、答えに紐づいた理想の自分を演じるだけ。それで演じてみると、これがまた結構物事うまくいったりするもので。

そして、最終的にそれが演技ではなくて”ありのままである”状態になったら素敵だな、と自分の中でイメージして日々過ごしていると、自然と思考も変わってきたりするから、また違う自分を演じるエネルギーに変換していける。なんかそんな繰り返しで自分も変化していくし、周りとの関係も変化していくような気がする。
もちろん、相手を尊敬することも大切にしているし、相手のために尽くす努力もしている。でも、僕の中の感覚として利他的なものや自己犠牲的なもののちょっと上に自己変容への興味みたいなものがあるような気がしています。

でも、もちろんそれが子どもの時からそうだったかと言われると全然そんなことはなくて、昔の友達には「あの時のナル君、ホント嫌な奴だったよねー」と言われるくらい、傲慢で自己中で周りを見下してる時期もありました(笑)要は自分の思うように周りの人もコントロールできたら幸せだと思っていたんですよねきっと。

気仙沼でヒロとゆっけと出会って、二人は本当に周りの人との関係性を丁寧に築いていて、そして彼らを通して出会う人たちも本当に気持ちの良い人ばかり。その衝撃は結構今でも覚えていて、とても興味深かったし、周りとの関係性はそうありたいと思う自分がいたんだよね。
そう思ったらあとはシンプル、行動一つひとつを真似てみて実践あるのみ。でもこれも結構うまくいかなかったり、浅はかだったり、やっぱり苦手なこと(手紙のやりとりとか(笑))とかあったりで、簡単ではない。けど、それを笑って見守るヒロやゆっけを始め、たくさんの人に認めてもらう中で、やっと自分の個性にたどり着いたような、そんな今日この頃。

いや、まだまだ発展中だし、模索中です。なんか関係性より自分の話になってる?(笑)

成宮崇史

共通の体験や言語を増やす

関係性そのものが人生を豊かにする割合ってとても多いと思っていて、逆に関係性がうまく行っていない時は、孤独を感じたり、苛立ったり、不安になったりするかな。何かを成すために関係性をよくするという考え方もあるし、関係性がよくなったから何かが成し得るっていうこともある。ここはなんとなくサイクルになっている気がする。

例えばSOKOAGECAMPのインターンたちとのこと。土台底上げに関わろうと思ってくれる程の関係性はあるんだけど、そこからさらに踏み込んだ関係性になるには共通体験をして、共通言語が増えていくことが必要だと感じてます。なにか一人ではできないようなことを一緒にやってみたりすると、口では説明できないようなその人の特性とか価値観を見つけることができたりする。それをまたお互いで共有したりしていくと、自己理解も他者理解も深まっていくし、ネタが増えていく感じがする。笑
結局そうしたことを積み重ねて、僕自身が会いたいな、話したいなと思える人がいることと、自分のことをそう思ってくれる人がいること。これが人生を豊かにしてくれる関係性なのかな〜。

また他者との関係性はもちろんのこと、社会や自然、自分自身との関係性も人生を豊かにしてくれると感じてます。気仙沼でその場所とつながって感じたことや、旅で地球がひとつだな〜と感じたこと。そういう経験から、自分と他者、地域や社会、自然。そうしたものと丁寧に向き合い、笑えたり、感謝したり、一緒に泣けたりする、そういう関係を築けているときは良い時だな〜と、過去を振り返ると思うところです。
自分一人の快適な状態を保つだけでは、自分の快適な状態は保たれないというか。誰かと何かの関係性の中で生きているんだな〜、とおもうわけです。

斉藤祐輔

一人でいても一人じゃないと思える関係性

最近、住みなれた仙台や気仙沼から離れた福島県に住み始めました。これまでなら、仙台や気仙沼、時には東京でちょっと連絡すればパッと会って話したり、ご飯を食べたりする相手がいたのですが、なんと引っ越してみたら全然いなくなってました…!! カフェで楽しそうにおしゃべりする人たちを羨ましそうに眺めたりもしているのですが、ふと、「でも自分は今一人だけど、一人じゃないなぁ」と思えたのでした。
毎日会う訳でも、毎日LINEするわけでもないけれど、底上げのスタッフはもちろん、キャンパーや、インターン、特に時間をじっくり共に過ごした人々とのつながりが確かに心の中にあって、嬉しい事、悲しい事、特に意味のない事も、連絡すればすぐに繋がれる…今は離れているけど、これからの人生のなかでまた近づいたり、共に過ごしたり、時には助けたり、助けられたりできそうだなぁと思える関係性があれば、寂しいけど孤独じゃないかもなぁ。なんてことを思ったのでした。

こんな関係性をどんどん増やしたいと思いつつ、この濃密な関係性が生まれるには、「共に何かをやり遂げて(達成感)、感動を共有した」ことや「誰かを想って一生懸命になった」場を共有した事が大きいのではないかと思います。

底上げに入るまで、泣けるほど感動する事ってほとんどなかった気がするし、なんなら「泣くもんか」という部類でした。しかーし、気づけば自然に涙がこぼれる場面が沢山あって、その度に心をほぐされてきた感じがあります。誰かを、愛おしいなと思う感覚を、沢山経験できたのは、私にとって宝物です。

ぎゅ~っと距離が近づいて、「仲間」だなと思える人が沢山増えたきっかけの一つに、成宮サプライズ結婚パーティがあります。本人に内緒で沢山の人が協力してくれて、なるさんをびっくりさせて、みんなでお祝いするために、本当にたくさんの時間をかけて準備をしました。当日までは大変でしたが、沢山の笑顔溢れるパーティが終わったら、気仙沼に仲間…というか同志…と思える人が沢山出来てました。

そう思える関係性を私と紡いでくれているみなさん、いつも本当にありがとう。

横山沙織

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