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不安や孤独、自分の感情とどう向き合うのか

矛盾に打ち勝て

今から3年前に僕は子どもを授かった。元気な男の子だった。それからというもの、いままで僕が見ていた世界からは見えなかった景色がたくさん見えるようになった。見える世界が変化しただけでなく、心境の変化も大きかった。今までは「今死んでも後悔はない」という生き方をしてきた。とにかく「今」に集中して仕事もプライベートも過ごしてきた。でも今は、ちょっと違う。「今死んだら困る」になった。「息子の成長を見届けたい。少しでも息子のそばにいたい。」そういう思うようになった。僕の心のタンクに溢れんばかりの水が注ぎ込まれているような感覚。「これが幸せなんだな。幸せなことなんだな」と認識した。
一方で、その感情が大きくなればなるほど、失うことへの「不安」がどんどん大きくなってくることを日々実感する。息子が出かければ、事故に巻き込まれるのではないかと心配する。息子が咳をすれば、大事に至ってしまうのではないかと気にする。以前の僕には全く考えられない思考だ(笑)大切なものを授かった瞬間から愛するものを失う恐怖を感じながらの生活。なるべくリスクを軽減したい、不安を減らしたい。そんなことまで考えてしまう。
でも僕は知っている。不安で何もしないことが、必ずしもリスクを減らすだけではないということを。不安とセットで得られるものこそが人生をより豊かにしてくれることを。息子が2歳になった時、家族でアフリカの大地を踏んだ。目まぐるしく発展を遂げる一方で、テロや犯罪が後をたたない。はっきり言って、危ない地域だ。ただ、息子には世界を知って欲しかった。感じてほしかった。だからリスクをとってアフリカに行った。ほとんど息子の記憶には残らないかもしれないけど・・・(笑)それでも僕なりの息子に対するメッセージだ。リスクをとれ。不安とともに進むのだ。
不安は常に心の中に存在する。大切なのは、不安を解消するのではなく、どう付き合うかだ。そして不安があるからこそ感情の波が生まれ、感動が生まれるのだ。そうだ、不安は全然悪いものじゃないんだ(笑)

矢部寛明

不安や孤独をちゃんと認めてあげる

いやーー、孤独って怖いよねーー!(笑)僕底上げの中でも一番不安がりだし、孤独を恐れている人だと思うのだけど、どうだろう?(笑)でも振り返ると結構「孤独だーーー!」という気持ちが次への活動のエネルギーになってたりします。寂しいし辛いし「孤独だーーー!」って実際大声で叫んでからやっとだけどね(笑)よく覚えているエピソードとして、2016年SOKOAGE CAMPが始まった時。その時僕は結構市内の高校生関係の事業の今後とかでも悩んでいて、この状況を変えていくためには団体立ち上げ当初のような底上げメンバーそれぞれの役割とか一緒に作り上げていくエネルギーとかそういうのもう一度作っていきたい!と思っていて、けどみんなのやりたいベクトルは少し違う方に向いていて、そこにはがっつり一緒に入ることができない自分がいて、CAMP0期が終了した後には、みんながすごい感動で共感値が高まっていた。その時は正直寂しさを感じましたねー。今思えば、ベクトルは全然違う方を向いてなくて、大きな視点はみんな変わらず一緒で、その瞬間に大事だと思う時間の過ごし方が少し違っていただけで、僕の勝手な嫉妬による感情とわかって後でものすごい反省をする訳ですが、でもその時には「孤独だーー!仲間が欲しいーー!」と叫んでいたのを覚えてる(笑)でも結果として、僕は気仙沼で新しい仲間と繋がりを求めさまよい、今はたくさんのものを得ることができました。不安や孤独って意外と勝手に自分で決め込んじゃってる時も多いんだなーってやっと思えるくらいにはなってきたけど、それでもそういうのを感じた時は、とにかく叫ぶようにしてます(笑)叫んでると誰か助けてくれるんですね、本当に感謝しかない。以前友人が「倒れ込むことも勇気」って言っていたのも割と大事にしていて、わーっと自分が倒れこんだ時に絶対誰かが支えてくれるって信じきって委ねきれるか。おお、確かにそこまで振り切ったことってあまり普段できてないなと。最近はそんな振り切りを大切にすることをマイブームに自分の感情と向き合ったりしてます。

成宮崇史

自分のご機嫌を隣で伺う

僕の場合は自分の状態を感じることができているかどうかというところがとても大事。今日もやもやしてるな、ここ数週間調子悪いな、最近上がり調子だな、とかとか。
それからその理由を考える。
例えば最近だと、2020年は4月からコロナの影響で気仙沼に行けてない。こんなに気仙沼から離れたのは旅に出た時以来。ガクッと落ち込んだりはしないし、リラックスできている状態だったんだけど、慢性的に物足りないというか、そんな感じの数ヶ月を過ごしていました。それが2020年11月になってようやく気仙沼にいけて、仲の良い気仙沼の仲間たちの顔を見て仕事をしながらいろいろ話しができたことで、だいぶ自分の状態が良くなるのを感じました。ありがたや。それを客観的に観察すると、「覚醒度の低いリラックスしたいつもの環境でゆったりコーヒーを飲む」という状態も自分には必要だけど、一方で「仲間たちと楽しいことを話す」とか「知らないところに行く」とか、そういった瞬間的に感情があがる機会もとても大事だったんだな〜と理解が進む。だから旅をするように何拠点かで暮らしたり、気仙沼みたいに「あの場所に行けばみんなに会える」という場所がすぐ近くにあることは僕の感情を整わせてくれるものだったんだな、と。
それができていると、自分で自分を喜ばせたり奮い立たせたりする方法が増えていく。この疲労感は少し余白を作ったり、サウナに行ったりしようかな。このモヤモヤ感は底上げのスタッフや東北の仲間たちとおしゃべりが必要だな。っていう感じに。そんな自分の整え方をしているかな。
もう一つはそこから自分の強みがなんなのか、他者の強みはなんなのか、ということを理解することも大切。あの人はこうしているのに、どうしてこうできないんだろう、と悶々しているとあんまり良い方向に向かわない。それなら、それを強みとしている人と一緒に何かをした方が楽しいし、その中で自分の強みも活かせる。僕の強みはやっぱり人とのコミュニケーションだし、いろんなことを妄想してアイデアを膨らますこと。それを生活に取り入れられていると元気になるし、一人で決まったことを間違えずにやる、みたいなことをやってると調子が悪くなる。
あと最終的にはとにかくニヤニヤしていること。そうしたらだいたい良い方向に進む気がする。笑(948)

斉藤祐輔

不安も孤独も抱えながら生きていく

結構常に、不安や孤独を片隅に抱えながら生きている気がします…笑 90%ダイジョブ!なんとかなる!と思っているけど、100%じゃないから、その埋まらない10%にたまに目を向けてしまう時もあります。人間だもの。 でもそういう時は、「あー孤独を感じているなぁ」とか「あー不安だなぁ」と一旦受け取って、さて、これはどこからわいてきているのかな…?と探ってみます。
負の感情を芽の状態で早めに見つける感じですかね。そのまま芽がにょきにょき育ってしまう前に、芽が出た理由を探します。誰かや何かを責めたくなる気持ちが芽となって出てきても、根っこは私から生えてきているので、土に何が隠れているのかな~と探ってみます。未来への不安とか、嫉妬とか、疲れとか…まあ何か色々発掘されるので、一人で解決できそうなら、一旦受け取ったり、見方を変えたり、自分で自分をよしよし…としてみます。大体は、その気持ちを持っている事自分で認める事とか、お風呂にゆっくり入るとか、沢山寝るとか、家事の手を抜くとかで解決されることが多いです笑
一人で解決できない場合は、その状態を良い方向に持っていくために伝えることもありますが、なるべくお互い気持ちよく伝えられるといいなと思ってます。自分の気持ちを大事にするのと同じくらい、人の気持ちも大事にできたらいいな。いや、全然上手くいかない事もありますけど。
一人で煮詰まって、ドロドロしてくるときは、そのまま置いといて、全然関係ない会話を楽しんだりすると勝手に消化されてたりすることもありますよね。なんでか分かりませんが、そういう時に限って、底上げの誰かから電話かかってきたりして、どうでもいいような事をちょろっと話したらスッキリしてたり。常に不安とかは自分の中にあるものなので、気になったら取り上げますけど、普段はあるもんだと思って気に留めないというのも大事なのかもしれない。
自分との付き合い方ってゴールが無いですよね。完全な状態で常にいる事は出来ないと思っているので、その揺れ動きを楽しめたらいいんだろうなと思います。

横山沙織

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