底上げ ロゴ

2011年創業、東北を拠点に若者支援・
まちづくり事業・組織づくりをする認定NPO法人

【SOKOAGE CAMP体験記】なっちゃん「ふと立ち止まって、また前を向いて歩き出す」

みなさまこんにちは。SOKOAGE CAMP(以後CAMP)はただいま2024夏に向けて充電期間中です!
充電とは具体的には、CAMPの目的や価値を改めて見直したり言語化したりしながら、これからどの様に実施していくのが良いのだろうか?と毎週スタッフで議論を重ねています。
その中で改めてこれまでに参加したり、インターンとして関わってくれた通称「キャンパー」にCAMPとは一体どんな時間だったのか聞いてみようということになりました。3名の方に、3つの問い「CAMPから何を得たのか?」「現在感じる、CAMPから持ち帰ったもの」「CAMPからを一言でいうと」をお渡しして、自由に書いて頂きました。

全3回にわたり、【SOKOAGE CAMP体験記】として3名の方からお預かりした記録をみなさまにも共有いたします。
お一人目は「なっちゃん」です。底上げとは高校生の頃に出会い、大学1年生の時にCAMPに参加して以降はインターンとして何度も関わってくれました。CAMPという時間と場所を、参加者はもちろん自分のためにも活かしてくれる…スタッフからするととても頼もしい存在でした。なっちゃんの言葉から、「自分を見つめて、認めてあげる。そうすることでまた前を向いて歩ける。」というメッセージを感じました。是非、毎日に少し違和感を感じている、「こんなはずじゃなかったのにな」と思う事がある方に読んでいただけたらと思います。


穴澤夏実といいます。 CAMPは11期で参加し、その後13期、15期、19期、楢葉ではインターンとしてCAMPを作る側として関わりました。 大学卒業後、慣れ親しんだ東北を離れ島根県に移住し、小学校教員として働いています。 まだまだひよっこ教員ですが、元気で可愛い三年生の担任をしつつ、吹奏楽部では指揮を振っています。

【参加当時のわたしは、CAMPから何を得たのか】

  参加当時の私は二十歳の大学1年生でした。当時の私はCAMPから「私はここにいる」「私はここまで確実に生きてきた」という感覚を得ることができたと思っています。

大学1、2年生という時期は、自分自身の捉え方に変化が起きる時期なのではないかと感じています。高校生までは、みんなが同じような道をたどって生きてきたような感覚を持ち、ともすれば「同じである」ことである種の安心感を得ながら生きてきたのに、大学生になった途端に「自分らしさ」や「自分の強み」を求められはじめます。私がCAMPに参加した時期も、そんな周りの空気に違和感を抱いていたころだと思います。

私自身の置かれていた状況を思い起こすと、高校時代は周りの友人たちに恵まれたこともあり、いわゆる(ちょっと)意識高い系高校生としての生活を送っていて、このまま大学生になっていくのだろうとばかり思っていました。しかし、現役での大学受験にはことごとく失敗し、1年間の浪人期間を経て、第一志望ではなかった地元の国立大学に進学することとなりました。進学した大学は第一志望ではなかったものの、またも周りの友人たちに恵まれ快調に進み始めたのですが、どこか自分の居場所の不透明さを感じていました。私は何を拠り所に生きているのだろうか?あの1年間の浪人生活は何だったのだろうか?高校時代の私と今の私がどこか途切れているような感覚もありました。

そんな中で「自分らしさ」や「自分の強み」を求めようとしても、どこか雲をつかんでいるような感覚で捉えどころがありませんでした。そもそも、そうしたものをつかむ前に、私は私自身をもっと見つめる必要があると思いました。もっと言えば、自分の中にまだ見つけてもらっていない自分がいて、それを誰かに見つけてもらうのを待っているような気がしました。

CAMPでは、今までにないくらい自分と向き合い、自分のために時間を使います。向き合う時間も、向き合うために力を貸してくれるスタッフやインターンの姿もありました。その中で、私の中のいろいろな自分を見つけて、慰めてあげたり、褒めてあげたりすることができました。そうしてようやく今の自分とこれまでの自分がつながった時に、「私は確実に、それぞれの時代で一生懸命生きてきたんだ」という感覚を得ることができました。

【現在感じる、CAMPから持ち帰った大事なものとは】

 CAMPから持ち帰ったものは、最高にかわいい自分です。かわいくない時もたくさんあるのですが、そんな自分も「かわいがる」ことができるようになったなぁと思います。

 CAMPで自分と向き合う時間を作ると、見たくない自分とも向き合わねばならないことがあります。普段の生活では無視したり、消し去ったりしている自分もCAMPではおとなしくしてくれません。(笑)自分の感情に素直になればなるほど、出しゃばってきて存在を無視することができなくなります。

 でも、そんな自分も、実はとってもかわいいんです。というか、かわいがってもらう価値があるんです。しょうもなくて、弱弱で、情けなくて、面倒くさいんだけど、どうしようもなく自分くさくて、愛さざるを得ないんです。

 CAMPに参加してから時間が経ち、当時大学生だった私は社会人になりました。仕事はバイトみたいに軽くこなすことはできなくて責任が伴うのに自分はひよっこ社会人。そんなアンバランスな状況で、仕事をこなす日々は楽ではありません。あの頃は悩まなかったことに頭を悩ませ、気持ちが落ち込んでしまうことだってあります。そんな日々を過ごしていると、ふとあの見たくない自分が登場してくることもあるのですが、最近はその子が登場してきても、「しょうがない奴だなぁ」とかわいがってやれるようになった気がします。

【CAMPを一言で言うと】

 「立ち止まって自分の足跡を見て、また前を向いて歩くための場所」

CAMP中の時間はある意味で止まっています。休まず歩いてきた人生を、ふと立ち止まって見つめる時間が取れる気がするからです。CAMPに参加している時は、外からの連絡や情報を遮断して、何者でもない自分自身を見つめることに集中している人も多くいました。そうすると、自分の生きてきた足跡が見えてきます。足跡は、ただ単に過去を顧みるためだけに見ているのではないと、私は思っています。立ち止まって足跡を見ることで、CAMPから日常に帰った時に、それを拠り所にしてまた前を向いて歩けるんじゃないかと思うのです。私にとってのCAMPは、そんな意味を持って今も自分の中に生きています。