「すべての若者に」って、誰なんだ?
「できる感覚を、うごく楽しみを、生きる喜びを、すべての若者に。」
底上げを立ち上げた時に掲げた哲学?目標? です。みなさん知ってましたか?何をやっているかわからない団体筆頭の底上げにも、こんな軸があったのです。もとい、あるのです。今のところね。HP見てね。あるから。
震災から15年を経て、活動を続け、事業や対象、フィールドが変わっていく中で、改めて若者って誰なんだろう?と考えてみたくなりました。ソコアゲのさいとうです。よろしくお願いします。

若者とは誰を指すのか
まず、“若者”という言葉。とても曖昧じゃないですか?
一体、何歳から何歳までが若者なのか。働いているのか、学んでいるのか、休んでいるのか、遊んでいるのか。どんな家族形態でどんな生活スタイルなのか。改めて想像しようとすると、それぞれの“若者像”がありそう。
そもそも若者という括りは、青年期から成人期への発達段階において、学業期間や実家暮らしの長期化、結婚や就業を取り巻く価値観や環境の多様化・複雑化を背景に作られた、社会的な存在であると言われています。ポスト青年期とか、そんな言い方もされます。
若者支援政策では、2010年に子ども・若者育成支援推進法が、2023年にこども基本法が施行されました。それまで18歳までを児童として区切っていましたが、「切れ目のない包括的な支援」を目指し、子ども期と若者期を一体的なものとする考え方のもと、その区分もなくなっています。「若者が子どもに包摂された」という見方もできるでしょう。子ども・若者に関する法律において若者という括りに対する年齢的区分がなく、政策等によって対象とする若者の年齢が規定されている、というのが現状です。
例えば、今年度から設置された仙台若者会議「せんだいユースカウンシル」では、若者の視点から施策を評価し、意見表明をする機会の確保を目的とし、委員の選定における年齢の基準は「18 歳から 39 歳までの者」とされています。さいとうはギリギリ若者の仲間入りを果たし、委員として微力ながら貢献しております。
若者の自己意識
こうした“曖昧な若者”を特徴付けることは難しい、ということはすぐわかりますよね。加えて現代は多様性の時代です。生き方それぞれ。一括りになんてできない。その通り。
ただしその一部を切り取って、傾向を示すことはできそうです。例えば、青少年研究会が発表した都心圏の若者を対象とした調査では、2012年からの10年間で、自己肯定感に関する回答が統計的に有意に増加しています。「若者は自己肯定感が低い」と言われていましたが、現在ではそんなこともないのかもしれません。他国と比較すると相対的に低いという結果はありますが…色々な解釈の仕方がありそうですね。
他にも、表から見えてくる傾向として、場面に応じた自身の使い分けが上手になっている一方、「私とは何者か」という問いへの応答が自他ともに難しくなっていると言えそうです。自己意識、他者との関係性のあり方に対する問いですね。この調査結果は、以前底上げブログに書いたアイデンティティに関するコラムにも通ずるところがありそう。「ほんとうの私」は多様な側面を持ち、変化し続けていくが故に、自己のマネジメントが難しくなっている、というわけなのかもしれません。

できる感覚を、うごく楽しみを、生きる喜びを、すべての若者に。
ここまでつらつらと書いてきましたが、改めて底上げが礎としている哲学は、とても壮大なんだなと思いました。
時代により、若者の枠組みやそれを取り巻く社会環境、若者たちの特性は変化し続けている。そんな中で、だいぶ大きいことを言っていそうです。笑 自分自身の状況も変わっていく中で、次はどんなことができるかな〜と、そんなことを考えた梅雨明けでした。
齊藤祐輔
副理事長
岩手山登ったよ。きつかったよ。