歌手の加藤登紀子さん14年ぶりに気仙沼に来るの巻
登紀子さんとの偶然の出会い
底上げの矢部です。2026年もスタートし、あっという間に1ヶ月が経過しようとしています。はや。今回は3月に開催する加藤登紀子さんについて書こうと思う。僕にとって、いや、底上げにとって親戚のおばちゃんのような方がいる。(そんなこと言ったら怒られそうだけど)
歌手の加藤登紀子さんだ。
登紀子さんとの出会いは僕が大学時代に遡る。当時インターンとして関わっていたgreenz.jpの事務所が登紀子さんの衣裳部屋だったのだ。そんなご縁から登紀子さんというか、登紀子事務所との関係をいただいた。年末になればコンサートの手伝いをした。大学時代に芸能界の一端を見れたのはとても貴重な経験だった。当時は登紀子さんの偉大さを理解しておらず(ひどいやつだ)、僕の認識ではジブリ作品「紅の豚」の主題歌を歌っている人ということだけだった。
音楽のちからを感じた
僕が大学時代を卒業するタイミングで、東日本大震災が発生した。当時、居ても立っても居られず東北に入る決意をした僕。完全に気持ち先行型の無一文だった僕は、登紀子事務所に駆け寄り、服や寄付金をたくさんもらった。その支援物資や寄付を持って東北に入って行った。
登紀子さんのみならず、事務所の皆さんから、温かい声援をもらい東北に入ったことを今でも鮮明に覚えている。
3月17日に東北に入り活動を続けていく中で、音楽のちからで被災した方々を癒すことはできないのか?と考えたのは震災から半年後のことだった。避難所生活を終え、仮設住宅に移ったタイミングで、まだまだ続くであろう様々なストレス、葛藤や悲しみに寄り添う事ができるならば音楽だと思った。残念ながらその力は僕たちにはなかった。
そんな中、真っ先に浮かんだのは登紀子さんだった。そして彼女は僕たちのオファーを快諾してくれた。そして登紀子コンサートが気仙沼で開催されたのである。2012年2月11日のことだった。

会場にいる多くの来場者が登紀子さんの歌に触れ泣いていた。
僕にはそれがとても美しく見えた。音楽の圧倒的なエネルギーを感じたのは僕の人生史上過去にあの時だけだと思う。当時コンサート関係者は全員ボランティア。底上げの関係者が東京から応援に駆けつけてくれての開催だった。駐車場案内や誘導、照明もやった。気仙沼の高校生も関わってくれて会場を盛り上げてくれた。プロではない僕たちが運営したため、本当に足りないことばかりだったと思う。ただ、登紀子さんは今になってもあの時のコンサートはとても良かったと話してくれる。

それからというもの、毎年登紀子さんから底上げに寄付をいただくようになった。登紀子さんが毎年、年末に開催しているコンサートで募金を募りその募金先が底上げだった。寄付ももちろんありがたかたけど、そういう形で、僕たちを応援してくれること自体が僕たちにとって心の支えになった。(コンサートで「底上げ!」とか言って話をしてくれてた時期もあった)
登紀子さんのみならず、事務所の社長がプライベートで来たこともある。会うたびにエールをもらった。
「東北の未来はあなた達が作っていくのよ」 by登紀子
身に余る以上の言葉をもらった。そのことは何もなかった僕たちにとって、精神的な支えとなった。だから、登紀子さんは僕たち底上げにとっては親戚のおばちゃんのような存在なのだ。
何年経っても底上げを気にしててくれる存在。ちょっと大袈裟かもしれないけど、登紀子さんがいなかったら底上げを続けてなかったかもしれないし、大学の教員をやっていなかったかもしれない。今の僕があるのは、登紀子さんの影響が大きいのだ。
やってくるぞ!登紀子さん
そして2026年3月1日。そんな登紀子さんの気仙沼公演が決まった。

ずっと気仙沼によびたいと思ってきたけど、忙しさを理由によぶことができなかった。今回は僕が中心となって開催されるコンサートではない。でもそんなの問題ではない(笑)できることは何でもやらせていただく。そんな勢いなのだ。そして登紀子さんを盛大にお迎えしたい。今までの感謝を伝えたい。そう思った時に、真っ先に顔が浮かんだのは底上げメンバーや、今まで関わってくれた学生達だった。
「震災からがむしゃらに生きてきたら、こんなに素晴らしい人たちに囲まれて生きられるようになりました」
そんなことを思いながら、フルメンバーで当日登紀子さんをお迎えしたいと思っている。そして会場に集まる全ての方にとって忘れられない1日を作りたいと思う。
時には昔の話をしようか
聞けるかなぁ・・・
(ちょっと感情注入型の文章になってしまた!)
矢部寛明
理事長
今日も走る!(画が汚い)